わたしが外人だったころ


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終戦の翌年創刊された雑誌「思想の科学」の創刊メンバーであり、哲学者の鶴見俊輔さんの『わたしが外人だったころ』が刊行されました。 太平洋戦争がはじまったころアメリカに大学生として暮らしていた鶴見さんの体験が、佐々木マキさんの絵とともに淡々と語られていきます。 英語を喋ることができなくて周囲から「考える力がないもの(人)」と思われていたこと。一方で移民が多く、異なる国の人々が集まってできているアメリカでは、お互いがきちんと約束をして、その約束を守ろうとする考えが根付いていたこと。 戦争がはじまり、敵国の学生ということでイタリアやドイツの人々と一緒に留置所にいれられたこと。でも、最年少だった鶴見さんは留置所の仲間に親切にしてもらえ、通っていた大学の先生のはからいで留置所にいながら勉強し、大学を卒業できたこと。 留置所を出て日本に帰る交換連絡船の中で、日本の軍人から「日本人の心得」を教えられたこと。日本に帰ると「鬼畜米英」というかけ声が飛び交っていて、それは自分のことだと周囲から怯えて暮らしていたこと。 鶴見さんは「わたしは、アメリカにいた時、外人でした。戦争中の日本にもどると、日本人を外人として感じて毎日すごしました」と語ります。そして、作品の最後をこんなことばで結んでいます。「地球上の人間全体の中で、日本人にとっては、外人のほうが多い。日本人は、外人にとりかこまれて、この世界でくらしているのに、日本人本位に考えるのでは、わたしたちは地球上に住みにくくなります。」と。 16〜19歳という多感な時代を、異なる言語、異なる人種、異なる文化の中で暮らし、その差異が負の面でより浮き彫りとなる「戦争」を経験した鶴見俊輔さん。彼だから語れる思いと示唆が、小学生の子どもたちに向けての1冊になりました。少し難しいところもあるかもしれませんが、おうちのかたといっしょに考えながら読んでもらえたらと思います。

(出版社FBサイトより)

この本を紹介しようかと思っていたら、作者の鶴見俊輔さんが7月に亡くなってしまいました。

私はこの人から直接影響をうけたわけではありませんが、何人かの先輩の口からよく鶴見さんの名前があがっていました。

どこにも帰属しない自由さなど多くの人に影響を与えた人だと思います。

そういう意味では私も影響を受けた1人と言えます。

15歳で渡米して大学に行く作者、その後戦争が始まり、日本に帰る選択をするが、どこにいても外人と感じる作者の思いが面白い本でした。

(コプタ通信別冊2015年9 月号別冊より 柿田)

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商品詳細

文: 鶴見俊輔
絵: 佐々木マキ
寸法: 26×20cm
内容: 40p
製作: 福音館書店

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