百町森の40周年で思うこと

屋号とロゴ誕生のエピソード

この文章は、百町森が40周年を迎えた際に、柿田がコプタ通信に寄せたもので、クマのプーさんにまつわるエピソードが詳しく書かれています。「クマのプーさん」100周年を機に掲載することにしました。

コプタ通信2019年4月号

なお、この時はプレイオンで「『クマのプーさん』複製原画展」も開催しました。

百町森は1979年の3月1日に児童書専門店としてオープンしました。オープンさせるまでには一つ大きな関門がありました。資金の問題も然り、場所の問題も然り、でも店の屋号が決まっていないと前に動けない気がしていました。 資金は0に等しかったのですが、わずかな貯金を持って出版社に買いに行けばいいとある意味プーさん的にのんきに(問屋=取次の存在も知らなかったのです笑)考えていました。 場所は父がやっていた印刷工場が移転したので、跡地の3坪の事務所を使わせてもらうことになっていました。ちなみに、父にこういう仕事をしたいと話したら、やってみろと言われ、車を1台買ってくれることになりました。これはラッキーとしか言いようがありません。

私は学生の時に絵本や児童文学に出会い、それからそうした本やそれに関連した本を読みあさっていました。 その中に、「月刊絵本」という雑誌があり、毎月読むのが楽しみで仕方なかったのを今でも鮮明に覚えています。 その77年8月号が「クマのプーさん」特集号だったのですが、その中にニューヨークに子どもの本専門店があるという記事があり、「自分がしたいことはこれだ!」と思いました。 店の名前は「イーヨーズ」といいました。これは「クマのプーさん」に登場するろばのぬいぐるみの名前です。 自分の店もプーさんから名前を拝借したいという気持ちはこれも関係しています。でも、それを決定づけたのは次のようなエピソードがあったからです。

私は当時、学生をしながら、進学塾の講師をしたり、何人かの家庭教師をしていていました。家庭教師をしている子の中に、小学6年生のものすごい読書家がいました。 彼の本棚にはぎっしり児童書が並んでいました。宮沢賢治の全集も置いてありました。彼はこともなげに、ここに置いてある本は全部読んだと言っていました。 彼のところに私は算数を教えに行っていましたが、行く前から、彼のお父さんは大変厳しい人で、彼はかわいそうなんだと、家庭教師を斡旋してくれる事務所の人から聞かされていました。 そんなわけで、文学という非現実の世界が彼を助けてくれているのだと本の量から推測していました。

ある時私は「この中で一番好きなのはどれ?」と質問しました。すると、彼の答えは『クマのプーさん』だったのです。 これは全く意外でした。「…プーさん」は、私の中では1・2年生に読んで喜ぶ可愛らしい童話という印象を持っていました。 そこで、私は『…プーさん』をもう一度読みました。そして、「月刊絵本」の「クマのプーさん」の特集号もしっかり読みました。

すると確かに、ここに描かれている世界は可愛らしいだけでなく、ジャーナリスト・ミルンがちょっと世界を斜めに見ながら描いている不思議な哲学世界があることに気がつきました。

さらに、プーさんについては哲学に絡めたいろいろな本が出ています。 フレデリック・C・クルーズの『ちんぷんかんぷんプー』(邦訳なし、元は大学1年生の教科書として作られたそうだ。)、ベンジャミン・ホフ『タオのプーさん』と『タオとコブタ』、そして、J・T・ウィリアムズ『クマのプーさんの哲学』。

しばらくしてその子の所から離れてしまいましたが、きっと彼は、そんなプーの世界に惚れ込んでいたのでしょう。

そんなこともあり、プーさんから名前を付けようと気持ちがだんだん昂ぶってきましたが、私には一つこだわりがありました。 それは横文字の屋号にはしたくないということです。私は学生時代、民俗学に傾倒していて、和へのこだわりを持っていました。 そんな中、書店名に「○○書林」というのが結構あり、では「○○森」も悪くはないだろうと考え「百町森」に決定したのです(石井桃子さんにはだいぶ経ってからこの名付けの承諾をいだきました)。

名前が決まったら今度はロゴが心配になりました。これも私は和へのこだわりで絶対毛筆で書いた字にしたいと思いました。 私は当時、書道を習っていましたので、その先生に隷書で書いてと頼んでみました。すると、「私より隷書の得意な弟子がいるから紹介してあげよう」ということになり、その方(お名前は忘れました)の書いた文字が今の百町森のロゴになりました。

(コプタ通信2019年4月号 柿田友広)

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