16 『プーおじさんの子育て入門』はこうして生まれました

その頃、私も樋口さんの保育論にかなり入れ込んでいました。そして、自分にも子供ができ、ごっこや積み木で遊ばせたいものだと思いました。けれども周りの保育園は、だだっ広い室内に遊具はほとんどない、悲しい状況でした。園におもちゃを買ってもらおうと思って見せに行くと、「片づけは誰がやるの?」「子どもが投げるから危ない。」、保育におもちゃは邪魔という感じでした。それまで本を買ってくれて、いい関係ができつつあったいくつかの園さえもそういう対応で、ショックでした。

そこで私は、園がだめなら家庭にままごとコーナーや積み木コーナーを作るしかないと樋口さんに話すと、「家庭には必要ないよ。」という冷たい返事だったことを覚えています。けれども、その後、樋口さんにも子どもができると、「柿田君の言ったとおりだね。」なんて言って、樋口家にも流し台レンジが置かれたようでしたので笑ってしまいました。

実際、私はお店に来るお客さんを捕まえては、熱っぽく人形で遊ぶことの意味や、積み木遊びの楽しさを話しました。すると、園の先生よりはるかに理解してもらえたのです。そこで樋口氏の保育論を家庭に置き換えてみる必要があるのではないかと考え、'92年から『コプタ通信』に「子育て便利帖」の連載を始めました。これが私の著書『プーおじさんの子育て入門』になる訳ですが、もちろん絵は相沢が描きました。彼を漫画家やイラストレーターとしてデビューさせようという使命感が、私にはずっとありました。なんと言っても、彼が初めて百町森を訪れた時、この絵本を見てくれと、自作の絵本を持って来たのですから。その後、彼はおもちゃ作家としてのデビューを先に遂げるのですが、私の頭の中では、おもちゃ作家としてよりも、『好きッ!』よりも、「子育て便利帖」が最初のデビューになるのではと密かに思っていたのです。

この連載は樋口さんのことやニキティキのおもちゃのことが書けるので楽しくてたまりませんでした。ちょうどその頃、保健所から父親学級の講師を頼まれたのを機に、生活のことや食事のことも意識的に入れました。なんせ当時、共働きの家庭でさえ、男が家事をするのは一日平均8分という時代でしたから。

(コプタ通信2005年08月号より)

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