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2007年11月 2日

その13 誰?この人は...

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おもちゃ屋にとって11月はもうクリスマスシーズン。全国レベルで1年で1度だけ、エルツ地方の工芸品にスポットがあたるこの時期。エルツ好きな私にとってはうれしい季節です。

クリスマスの主役は、なんといっても「サンタクロース」。 赤い服に白いひげ、たまに、もみの木なんかも持っていて、白い大きな袋を背にかついでいる。 そういや杖や木の枝を持ったサンタもいる。 よく見ると、ちょっとずつその出で立ちに違いがあります。

「サンタ・クロース」は英語読みですが、 工芸品の入った箱に書かれた商品名は、ドイツ語表記。 よく見てみると・・・

  • 「St.Nikolaus(ザンクト・ニコラウス)」
  • 「Ruprecht(ルプレヒト)」
  • 「Weihnachtsman(ヴァイナハツマン)」
ん? 商品によって呼び名が違う? この3人は誰? しかし、輸入玩具メーカーはこれらをまとめて「サンタ・クロース」としている。 だって、ぱっと見た外見は同じ。どういうことでしょう?

では、この3人を紹介します。

「ザンクト(聖)・ニコラウス」
zin_009_M.jpg実在する聖人で貧しい3人娘に金貨を投げて身売りするのを救ったといわれており、子供の守護聖人。命日の12月6日は、カトリックの地域では「聖ニコラウスの祝日」という、子供たちにとってはドキドキする日。 良い子は、施し物の入った袋からナッツ、果物、レープクーヘン(蜂蜜とショウガの入ったクッキー)などがもらえ、悪い子にはお仕置き用の棒が渡される。 三角形の司教帽、司教杖、長い衣を身につけている。服は白か黒、または赤。(右写真はツィニー社製の「クッキーとサンタ(原名:聖ニコラウス)」)

「ルプレヒト」

聖ニコラウスの従者。青または黒っぽい服を身につけて、小枝のむちを持っている。(最初の写真はギュンター・ライヒェル製の「サンタとつえ(原名:ルプレヒト)」)

「ヴァイナハツマン」

bsw_0010_1_M.jpg12月25日にやってくるサンタ・クロースのドイツ語での呼び方。16世紀にプロテスタントが、司教の訪問を廃した。プレゼントは聖人からではなく、主イエス・キリストからもらうべきとし、その日を12月25日に決めた。そして、オランダ人の発音した「セイント・ニコラウス」がなまっていたため、他の国の人々には「サンタ・クロース」と聞こえた。
つまり、カトリックでいうところの「聖ニコラウス」が、プロテスタントでは「サンタ・クロース」になるわけです。(右写真はバベット・シュヴァイツァ社製の「ツリーを背負ったサンタ(原名:ヴァイナハツマン)」)

なんだか、話がごちゃごちゃになりそうです。 「聖ニコラウス」と「ルプレヒト」はエルツのカタログを見るかぎり、違いはよくわからず、制作者が勝手に使いわけているようにしか思えません。 「ヴァイナハツマン」はもみの木を持っているかとおもいきや、そうとは限らない。

つまり...この三者はみんな「サンタ・クロース」と呼んでいいのでしょうね。
(治井紀子)

この連載は今回で最終回です。1年間ご愛読ありがとうございました。

2007年9月29日

その12:渋いぜ、Bergmann!

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私が、キュ〜ンとやられてしまったものシリーズ。今回は「Bergmann=鉱夫」のお話です。

2000年に初めてザイフェンを訪れたとき、ルームメイトがおもしろい場所に案内してくれました。

その日は、ドイツの冬らしいどんより暗い空。民家の横を通りぬけ、しばらく歩くと、左の方へそれる小さな道。そこを降りていくと、急に視界が開けました。すり鉢状になったところに、舞台らしき石組。その前には、たくさんの木製の椅子。

ここは、かつて鉱山だった場所で、今は野外劇場となっていました。ちょうど舞台の袖あたりに、鉱夫たちの仕事を見張るための見張り小屋「ROTE GRUBE」(直訳すると、赤い鉱山、鉱坑)が残されていました。立て看板を見ると、1856年に建てられた古いもの。そして、舞台の反対側には、鉱山の入り口跡がありました。

15世紀より、この地で多くの鉱夫たちが命を賭けて家族を守るために働いていたのだ、と思うと感慨深いものがありました。が、あまりの静けさにちょっと怖くもなりました。


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その2年後、私はヴォルフガング・ヴェルナーさんの工房で、初めて鉱夫がモデルの工芸品を2点購入しました。

1つは、ハンドルを回すとトントントン...みたいな音を出す「砕鉱機」。採掘した銀や錫を細かくくだく様子を再現したもので、水車が回転し、粉砕する棒が上下します。その時にトントントン、と音がする地味なもの。


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もう一点は、チントンテン...みたいな音を出す「カウエ」(小さな坑道の入り口を覆う小屋のこと)。こちらは、錫を運ぶ人形と、ハンマーを持つ人形が回転するしくみ。一見するとオルゴールのようですが、これらは二つともクリンパーケストヒェン(Klimperkaestchen)といい、オルゴールの原型です。写真を見ておわかりになると思いますが、ほんとなんて地味な工芸品でしょう。いくら歴史的なモチーフとはいえ、たいていの日本人は買わないでしょうね...

鉱夫をモチーフにした工芸品で代表的なのは、ヴォルフガングさんの父であるヴァルター・ヴェルナー工房のフィギュアです。他にあげるとしたら、やはりフュヒトナー工房のくるみわり人形、クラウス・メルテン工房の煙だし人形でしょうか... 

エルツ山地の工芸品が200年以上も作り続けられているのは、その昔、鉱夫たちが、ハンマーを、カービングナイフやバイト(ライフェンドレーン工法の時使う木を削る刃物)に持ち替えてくれたおかげです。だから私は、渋めのBergmannたちを、ちょっとひいき目にみてしまうのです。(治井紀子)

□ヴォルフガング・ヴェルナーのからくりおもちゃ http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/erzgebirge/wolfgang.html

2007年8月31日

その11:初めまして、エルツさん

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1994年2月。ニュルンベルクの街で、一人ショッピングを楽しんでいた私。
街の中心の聖ローレンツ教会の前を通りすぎ、カイザーブルグ城へと続く道の左手。
そこに、あの「店」はありました。

店に、一歩足を入れたとたん、「きゃー!何!!この店!どれもこれも、小さくてかわいいやん!そうや、私って小さいもんが、好きやった!(関西弁)」と、独り言。
初めて見る世界。小さいけれど、一つ一つがとても丁寧に作られ、「好きな物、みーつけたっ!」って感じ。

ニュルンベルグのそのかわいらしい店は「エルツ山地の工芸品店」だったのです。
小さな店でしたが、1時間はいたでしょうか。指で回す小さなメリーゴーラウンドにやじろべえ。ライフェンドレーンで作られた動物親子のミニチュアなど数点を購入。年配の女性のにこやかなレジ、クリスマスピラミッドのポストカードのおまけ付き。もう感激!「だんけしぇ〜ん」と日本語丸出しのドイツ語でお礼をいうのが精一杯でした。

購入した物を、一緒に行った方に見せたら「いい物を見つけたね。これはザイフェン村という所で作られたドイツの工芸品だよ。」とのこと。その時初めて私は「ザイフェン」「エルツ」の存在を知りました。

その後、ニュルンベルグに行くたび、いつもこの店を探していたのですが、どうしてもみつかりません。それもそのはず。いつのまにか、店は撤退。「マジック用品の店」になっていました。あ〜残念。

でも、うれしいことに『ドイツ おもちゃの国の物語』(東京書籍 川西芙沙著)の最終ページに、この店の外観イラストが載っています。とっても素敵な絵です。私の手元には構図の非常に悪い写真が、たった一枚。そしてその店で購入した品物は手元に2点しか残ってないけれど、その日の思い出は、しっかりと心の中に残っています。

その「初エルツもの購入旅行」後、自室の棚に「羊飼いのミニクリスマスピラミッド」を発見。裏を見ると「MADE IN GERMAN  DEMOCRATIC REPUBLIC」とハンコが捺印されていました。これは旧東ドイツ時代につくられた証拠。勤務先の店で94年以前に、エルツの工芸品を無意識のうちに購入していたのですね。

このミニクリスマスピラミッドは、今日も、自室の風通りがいい場所で、クルクルッと軽快に回っています。工房名は不明ですが、今も作り続けられていることは確かです。さすがだな...エルツさん。


□『ドイツ おもちゃの国の物語』
http://www.hyakuchomori.co.jp/book/pages/omochanokuni.shtml
□エルツ山地の工芸品
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/erzgebirge/erzgebirge_top.html

2007年8月 1日

その10 彼の名は「トラバント」

初めて出会ったのは1994年ドイツ・アイゼナハにて・・彼の名は「トラバント」

このドイツの旅は私にとって初めて出会うものばかり。ザイフェンの工芸品もマルクト広場のしかけ時計も冷えてないビールも・・・そして車も。

ドイツのほぼ中央に位置する旧東ドイツ・アイゼナハで私は初めて彼を見ました。

写真を一枚、パチリ。彼が「トラバント」です。なんて、すてきなボディなのでしょう…。このへちょさがいいのです。

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『Trabanto』 意味は「衛生」「仲間」。愛称はトラビ。 生産していたのは、カール・マルク市にあった東ドイツ国営企業のVEBザクセンリンク自動車工業。 全長3.5m、車幅1.5m、定員4人の小型乗用車。 1858年から1991年(ベルリンの壁崩壊は1989年)までの133年間で約310万台生産されました。エンジンは直列2気筒2ストローク??よくわかりませんが、なんせ原付バイクとかわらない馬力だとか。これで4人も乗って大丈夫だったのでしょうか。

コンセプトは「低コスト低燃費」。当時は年間生産が1万台くらいで、庶民にとっては10年待ちして手に入れる高級車でした。10年間モデルチェンジ無しってのも現代では考えられない事。西独の100倍有害な成分が含まれた排気ガスを放出してたし、「ボディが紙でできている」なんてうわさも流れるような、ちょっとなさけない車です。

相沢が今年ザイフェンで、トラバントのバンタイプを写真に納めていました。「汚い排気ガスを放出する車がまだ走っているんだな」と思っていたら、ハンガリーにおいては、現役が20万台も走っているとか。日本は1990年前後に輸入を試みる販売店があったそうですが、排気ガス規制により断念したそうですよ。

VEBザクセンリンク自動車工場は、その後何度か経営者は変わりましたが、今は「オペル社アイゼナハ工場」となっています。

おもちゃでも、木工芸品でも、陶磁器(マイセンが有名)でも、長い年月、同じ場所で同じようなものを、同じように作り続ける、そんなドイツ(特にドイツ東部)がやっぱり好きだな。


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わが家のトラバント


(治井紀子)

2007年6月30日

その9 晴れでも雨でも楽しめる「お天気ハウス」

otenki_house.jpgエルツ山地の工芸品で私のお気に入りの一つ、「お天気ハウス」。かわいいお家の玄関に、男の人と女の人が立っています。晴れた日には男の人、雨の日には女の人が、玄関先に出てきます。

馬の尾の伸縮を利用してつくられたもので、「簡易湿度計」みたいなもの。でもなぜ、女の人が「雨の日」に出てくる???湿度が高いと確かに不快な気分になりますが、それは男女一緒のはずなのに。

ザイフェンで作られているキャンドルスタンドに、「天使と鉱夫」というものがあります。

昔、鉱山で働く夫を無事に帰宅することを願いながら、妻は窓辺に置いたロウソク台に灯りをともしました。疲れた体を引きずりながら真っ暗な夜道を歩く夫は、我が家の窓辺に灯りがともっているのを見て、安堵する。敬謙な信者だった夫は、妻のことを真っ暗な鉱道の中で一日働く自分たちを明るく導いてくれる「天使」のような存在だと考え、キャンドルスタンドを作りました。その後、自分をモデルにした「鉱夫」の人形を横に並べられるようになりました。

「お天気ハウス」において、天使のような妻は、夫を晴の舞台に立たせるために、あえて、ジメジメした湿度の高い雨の日に自分が表に出ることを選んだのではと、私は考えます。
  
残念ながら「お天気ハウス」については、エルツ山地の工芸品について書かれた本を見ても、ネットで検索しても資料はあまりみあたらず、これが作られるようになったいきさつはよくわかりません。もし詳しい方がこのメルマガを読まれたら、ぜひご一報ください。

ちなみに、くるみ割り人形の父と呼ばれているWilhelm Friedrich Fuechtner(1844〜1923年)は「天使と鉱夫」のキャンドルスタンドの基礎となるものを最初に作った職人でもあります。

□キャンドルスタンド
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/candle_stand/index.html

□フュヒトナー家のくるみ割り人形
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/fuechtner/fuechtner_top.shtml

2007年5月31日

その8 小さいだけでグッときちゃいます

ドイツの建物ってなんてあんなにかわいいのでしょうか。
160分の1の世界へ、ようこそ!

カッターナイフやはさみ、ボンドを使って作り上げるペーパークラフト(紙工作)には、動かして楽しめる「からくり」や、子どもたちが作る工作レベルのものがあります。ドイツには大人が「作って飾って楽しむ」本格的なものがあり、しかも本物をスケールダウンさせたサイズになっています。

日本のみならず世界中にファンがいる鉄道模型は、本物の機関車などをスケールダウンして作られています。例えば日本でファンが多いNゲージ(線路の幅が9ミリ)は実寸の160分の1。ドイツのメルクリン社をはじめヨーロッパの多くのメーカーが採用しているHOゲージ(線路の幅が16.5ミリ)は87分の1。それらにあわせて駅や家、お店、お城、教会、人に動物・・・etc が樹脂素材で作られており、集めている鉄道模型にあわせて自分で風景(ジオラマ)を作り、自分が汽車に乗ったつもりで景色を楽しみます。

エルツ山地の工芸品好きな私は、ミニチュアというだけでもビビっと反応するのに、実在するものを、かなり忠実に小さく再現されているなんて、もう~最高!グッときちゃいます。

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さて今回は、ドイツから取りよせたSchreiber-Bogenのペーパークラフトの中から、私のリクエストでスタッフの相沢が作成した「ドイツ旧市街の家・4軒」をご紹介します。これが、また、いいんですよね~。ドイツといえば、木組みの家や上に行くほど出っ張っている家(昔、家屋の税金が1階の床面積で決められていた為)が有名ですが、それを再現しているのです。

印刷が実に素晴らしく、本物の雰囲気が伝わってきます。例えば、玄関の上をよ~く見ると4桁の数字が描かれています。おそらく建物が建った年でしょう。テラスには何か彫刻がされているように見えるし、お店のウインドウには額縁のようなものが見えますが、あまりに細かすぎて虫眼鏡で見ても何の店かはわかりませんが。でも、細かいところに、こだわりが見えるところが、いいんです。色使いもドイツらしい深みがあって、大人の目にも充分耐えられる風格を持っています。実際に訪れたことのあるヴァルトブルグ城なんか、自分の記憶と同じたたずまいにもう感激です。

店内には、残念ながら160分の1サイズの家にあうミニチュアがなく4軒の家がエルツのミニチュアたちに挟まれて、ちょっとかわいそうな感じになっています。このブログを見て百町森に来られた際には、ぜひ、実物を見て帰ってください。もちろん購入の上、ご自宅で楽しんでいただければなおよろしいかと思います。ノイシュヴァンシュタイン城なんかいかがでしょうか。ちなみに私は作るより、見て楽しむ派です・・・。

(治井紀子)

2007年5月11日

その7 エルツ山地の素朴な工場

今回は2004年に訪問したエルツ山地の小さな村にあるおもちゃ工場『ジーナ社』のお話です。
 
今年の保育セミナーで講師としてお呼びするドイツ・デュシマ社々長ルル・シフラーさんは1990年、東西ドイツ統一の際、旧東ドイツ・ノイハウゼン村のジーナ社を訪ねます。そして、おもちゃ作りについてお互いの夢を語りあい、手をとりあって共に歩むことを誓いあいます。今では、多くのデュシマ社の製品はこのジーナ社の工場で作られています。

2004年2月。ジーナ社のあるノイハウゼン村まで、滞在していたザイフェン村から雪深いなか、車で移動。この村はくるみ割り人形博物館や、エルツ地方の伝統工芸品を作る大きな工房がいくつかあり、昔からおもちゃ作りがさかんな村でした。

現社長ザイドラーさんにジーナ社を案内していただきました。工場は広い敷地内に作られ、ショールーム兼ショップには地元の人も買いにくることがあるそうです。


 
楽しみにしていた工場見学で、印象に残る光景が二つあります。
一つめは、「デュシマ寄木(村寄木かも?)」の袋詰め作業。
二人の女性が(会議室で使われているような)テーブルの上に置かれた箱ー約20個ーの中から、パーツを数個づつ手にとり、チラッとみて(検品??)は袋にいれる、という作業をされていました。箱にはパーツのイラストと数字が書かれており、その通りに袋に入れるというもの。たった二人での作業、しかも割合のんびりとしている。いったい一日何袋つめられるのでしょうか?決められたパーツ数はきちんと入っているのかしら??そりゃ時々写真と数量が違う時があるけど・・こういうことか・・と納得。
 

そしてもう一つ。同じく「ミニ積木」シリーズの「馬とくるま」にはいっている茶色の棒の検品風景。
ドイツでは作業がきちんと分担されていて、専門的に決められた仕事をこなすことが多いのです。塗装の吹き付け専門、穴開け専門などで、茶色棒検品担当は年配の男性です。木箱の中に茶色棒を数十本いれ、長さ、ひび割れ、塗装不良等を目視確認。時々、長さや太さの違う棒を見つけると別の箱にポイっといれます。なんともまあ、アナログの作業。しかもここも一人きり。やれどもやれども茶色棒は減らず・・・そりゃ時々、サイズの違う棒が入ってることもあるけど、目で確認していたんだね・・と納得。

実はこれらの積み木に入っている動物たちのルーツは、ザイフェンの伝統的なライフェンドレーエン(ろくろ挽き工法)にあります。エルツの工芸品が大好きな私にとっては、このアナログさ加減もふくめて、愛すべきおもちゃ達です。

(治井)

エルツ山地の工芸品
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/erzgebirge/erzgebirge_top.html

2007年4月 3日

その6 行ってみたいな〜キリスト受難劇・イン・オーバーアマガウ

2007年2月、百町森スタッフ佐々木がニュルンベルグのおもちゃメッセ会場で、素敵なハンペルマンを飾っているブースを見つけました。柿田・相沢を呼びとめ三人で入ったブースは『シュニュールカスペール』といい、職人というよりアーチストと呼ぶほうがしっくりくる50才代のオジサマ三人で営む、大人向けのハンペルマンを作る工房です。南ドイツのオーバーアマガウというところで製作活動しています。

百町森に来る前の私の職場は、兵庫県にある「有馬玩具博物館」です。実はそこで収蔵品として彼等のハンペルマンを展示していました。『動き』をテーマしたフロアーで、企画展として数十体を展示したこともあります。

写真は2003年2月彼等の工房を訪れた際に写したもので、2月なのにクリスマスツリーと、つきささった鋸で、とてもシャレた?ウインドウディスプレイでした。オーバーアマガウは彼等のようなアーチストたちが実は沢山住んでるところですが、あまり日本人にはなじみのない地名です。でもネットで調べてみると、これが結構出てくるんですよね〜。内容は『キリスト受難劇』『メルヘンなフラスコ壁画』など…ただ木工が盛んなことはほとんど出てきません。

何年前か忘れましたが、オーバーアマガウで上演される受難劇を紹介する番組を偶然NHKで見ました。大きな野外ステージで当時の衣装を身に付けた役者たちが演じており、大きな十字架を引きながらよろよろ歩くイエスのシーンが印象的でした。

受難劇の始まりはこうです。

1600年代始め、ペストがオーバーアマガウで猛威を奮いました。そして1634年、犠牲者を弔った墓地の上に作られた舞台で、受難・死・復活をテーマに上演されました。その後も舞台は上演され続け(ヒトラーにより休演した時期もありましたが)、現在は10年に一度、5月21日から10月8日まで、120回上演されています。途中休憩をはさむものの6時間もの長いお芝居に6才から90才までの村人が総勢約1860人出演します。

村人が芝居のキャストなんですが、芝居の出演がきまると男性は一つだけ守らないといけないことがあります。それは「一年間、髭を剃ってはいけない」というものです。芝居の演出上、必要なことらしく、警察官であっても学校の先生であっても上演されるまでの1年間は髭を剃ってはいけないそうで、配役が決定された時に契約書の紙面に書かれています。

1999年新しく野外ステージが完成し、客席には屋根が付き、ステージ上は電動で屋根が開閉するようになりました。ステージ裏手の部屋に保管されている衣装や小道具を見せていただき古い時代にタイムスリップしたような気持ちになり、「あ〜テレビで見たのと同じ衣装だ!」と感激しました。

約370年の歴史がある芝居を村人達が営んでいるなんて他にはないでしょう。そして、この芝居を見るために遠路はるばるやってきた敬虔なキリスト教徒は、帰りにお土産としてイエスやマリアの像や生誕シーン(クリッぺ)を表した彫刻をを買って帰ったのです。いつしか木工職人が村に住むようになり、やがて彫刻以外の木工をやる職人たちが集まる村になりました。人物を彫る職人、そして「シュニュールカスパール」のようなハンペルマンを作るアーチスト集団などが暮らすオーバーアマガウ。村外れにはあかずきんちゃんやヘンゼルとグレーテルの壁画があったり、夏はベランダからゼラニウムのプランターがずらりとならぶ愛らしい村です。

次の受難劇は2010年。行けるといいなぁ…

「シュニュールカスペール」工房のハンペルマンは間も無くアップする予定です。現在佐々木がドイツ語の辞書を片手に情報収集にがんばっていますので、いましばらくお待ちください。

(治井)

2007年3月 2日

ドイツ・工芸品の旅 その5「12年ぶりの人形作り」

前回同様1995年のドイツ旅行の話です。
ハードな日程の中、カッセルから北へ約40kmの所にある、バーテルスさんのアトリエでウォルドルフ人形を作りました。
写真は、現地の講師。生徒はたしか35人位。

予定の時間を大幅に越えて(たぶん7〜8時間ほど)みんな夢中でチクチクやっていました。
私はチクチク仕事が好きなわりには不器用でして・・・頭部を作る時は2度やり直しをし、胴体の部分もやり直した気がします。

帰りの飛行機の中で髪の毛を付けようと持ち込んだはさみは、あっさり空港で没収。。。
そんなわけで、一人目の子は未だに、はげぼうずのまま。あー、情けない。

・・・で、リベンジ!2007年2月25日の百町森での一日人形講習会に参加しました。
12年ぶりにニ人目の子ども作りにチャレンジ!

ここでも講師(百町森スタッフ:榛地)に度々のチェックをいただきました。なんか、羊毛の巻き方があまく、フンワリと仕上がってしまうんですよね。そういえば一人目の子もなんだかショボショボして痩せてきているなーと思ったんですよ。パーンと弾けそうな子どものイメージで羊毛はしっかりと入れるものだそうです。気が付けば私だけなんだかたくさん羊毛が余っていました。トホホです。

おかげさまで髪の毛は付きました。目はまだでピンが刺さっているままになっているので、まるで、ジョン・カーペンター監督の映画「光る目」の子どものようでコワイ・・・。二人目の子どもの完成はいつのことかしら???

(治井紀子)

2007年1月28日

ドイツ・工芸品の旅 その4「ハーメルンの笛吹き男」

1996年の夏、フランクフルトの南・グリム兄弟生誕の地「ハーナウ」から「ブレーメン」までを結ぶメルヘン街道を旅し、途中ハーメルンに立ち寄りました。グリム童話「ハーメルンの笛吹男」の話で知られている所です。この物語は1284年、実際に起こった集団子供行方不明事件を元に作られた、とされています。その物語は、こういうものです。

ある日派手な服を着て、銀の笛をもった男が村にやってきて、当時大発生したネズミ退治をしました。だけど約束した報酬を村人が支払わなかった為、怒った男は姿を消しました。そして6月26日聖ヨハネ祭の日、男は仕返をしに再び村に現れました。笛を吹きながら村を歩き回り、子供達はその笛の音につられ城壁の外へ出ていき二度と戻ってこなかった、というお話。

ハーメルンの市庁舎の壁にはいまでも130人の子供たちが笛吹男に連れ去られた出来事が彫られています。

お話自体は暗い内容ですがグリム童話の中でも有名な話で、オストハイマー社エミール・ヘルビックヴェント&キューンは木彫、バベット・シュバイツァーは錫細工で製品化していますね。また事実解明の為の研究は今日もすすめられ、浜本隆志氏は『モノが語るドイツ精神』(新潮選書)で「笛吹き男の笛の音には魔的な呪縛力があるとされていた」なんてちょっとドキリとするようなことを書いています。

さて、ハーメルンでは毎年夏休み期間中、街の真ん中の広場で村人が演じる「ハーメルンと笛吹き男」の野外劇を無料で見ることができます。13世紀の衣装に身を包みかなり本格的に演じられ、なかなか見ごたえのある劇です。夏休みということもあり地元の人に加えて観光客も多く見物しています。そして前座?として事前にエントリーしておけば誰でも舞台に立つことが可能です。一番多い出しものはコーラス。ただし大抵はおばあちゃま達ですが…。

(治井)

2006年12月29日

ドイツ・工芸品の旅 その3「メルテンの工房」

煙だし人形で有名な工房 Klaus Merten(クラウス・メルテン)にお邪魔した時の話です。工房の扉を開けるとまるで学校のような廊下があり、左手が工房、奥はたぶん自宅。入ってすぐに昔作った煙だし人形がケースに並べられました。窓辺には特別に注文を受けて作る大きなクルミ割り人形が数体。圧巻。手彫りの顔がいい表情です。

マイスターは白衣のような膝丈の上着姿で案内をしてくれました。彼はかつてザイフェンのおもちゃ博物館で修復などを行うスタッフとして勤務していました。煙だし人形は現在ロクロ旋盤で作られていますが、最初は顔と手がパン生地の石膏のようなもので作られていました。その伝統的な手法は、残念ながら1948年に途絶えてしまいまったのですが、彼が1985年に復活させたのです。

伺った時は、ちょうどその昔ながらの煙だし人形を製作されているところでした(上写真)。様々なモチーフがありますが、マイスターのお気に入りは「おもちゃ売り」。彼のこの作品は、ザイフェン村のポスターやカタログの表紙を飾るほどで、今やエルツ地方の工芸品の代表選手です。私はもちろん大好きなモチーフの「鉱夫」と一緒に「おもちゃ売り」を我が家へ連れて帰りました(*^o^*)

(治井)

クラウス・メルテンの正統派けむり出し人形
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/merten/merten_top.html

2006年12月 6日

ドイツ・工芸品の旅 その2「くるみ割り人形の父の工房」

2004年2月ドイツ東部エルツ地方のザイフェン村に「くるみ割り人形の父」と呼ばれているFriedrich Fuechtnerの工房を訪問しました。現在は6代目さんがマイスターとして甥子さんと共にくるみ割り人形や煙り出し人形、天使と鉱夫人形を作製されています。

Friedrichは1870年に当時ドレスデンで人気だった絵本「くるみ割り王とあわれなラインホルト」に描かれていた絵を元にエルツ地方で初めてくるみ割り人形を立体的に作製したマイスターで『くるみ割り人形の父』と呼ばれています。

あこがれの工房におじゃました私達を、6代目マイスターさんが「今、あなたたちがまたいだその敷居をFriedrichもまたぎましたよ」と迎えてくれ(ミーハー気分で)感激!なんと100年以上同じ場所で増築しつつ工房は営まれていたのです。雪の中約一時間かけて歩いた甲斐があったというものです。

人形の元になった絵本「くるみ割り王とあわれなラインホルト」(創英社/三省堂書店・訳おおたにみな)には当時ニュルンベルグで売られていたザイフェン村のおもちゃが描かれています。この絵本もまた私のお気に入りの一冊です。1851年、フランクフルトの精神科医ハインリヒ・ホフマンが息子の為に書いたこの絵本の中の王さまはとてもかわいいとは言えない顔つきです。やはり税の取り立てに厳しいお方は民衆にとって嫌な存在だったのでしょう。ちょっと皮肉まじりに登場させているところがおもしろいです。

(治井紀子)

くるみ割り人形
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/kogei/erzgebirge/pages/nussknacker_top.shtml

ハインリヒ・ホフマンの絵本
http://www.hyakuchomori.co.jp/book/h_hoffmann/h_hoffmann_top.html

2006年11月 5日

ドイツ・工芸品の旅 その1「アドヴェントカレンダー」

ここ2~3年クリスマスが近づくと、
アドヴェントカレンダーを店先でよく見かけるようになりました。
ヨーロッパの輸入玩具を取扱う私たちは、20年位前から販売していますが、多くの方に認知され出したのはここ3~4年です。
それでもまだまだ日本人には馴染みが薄いようです。

そもそもこのアドベントカレンダーとは、19世紀半ば頃ドイツのミュンヘンで生まれたもので子どもたちにアドヴェント(12月25日のキリストの降臨を待ち望む期間)を楽しく過ごさせる工夫の一つとして、作られた12月1日から24日までの日めくりカレンダーです。

日付けの入った小窓を開けると中に入っているお菓子や絵、
おもちゃなどを楽しみにクリスマスを待つのです。
19世紀半ば当時は、各家庭で子ども達のために様々な工夫がされました。
例えば、ローソクに24の目盛りを付け12月1日から毎日一目盛りづつ火を灯すもの。
クッキーを台紙に糸でくくり付け毎日1個づつ食べられるようになったもの。
飼い葉桶(家畜の餌入れ)に藁を1本づつ入れるものなどがありました。
そして、その日1日を良い子で過ごし、きちんとお祈りもできた証として
夜寝る前にさせてもらえました。

ミュンヘン在住の知人のお宅もチョコレート入りのアドヴェントカレンダーを
寝る前にめくることが子ども達の毎年の定例行事だとか。
そのチョコレートをいつ食べるのか?という疑問は残りますが・・・・。
日本では、子どもの楽しみではなく、
大人の(自分の)楽しみとして手に取られる方が多いような気がします。

by 治井紀子 (参考:「クリスマスの文化史」若林ひとみ/著)

アドベントカレンダー2006
http://www.hyakuchomori.co.jp/life/advent_calendar/pages/advent_2006.html